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登山家・重廣恒夫のヒマラヤアーカイブズ Vol.9 ~ネパール・中国・ネパール三国友好登山隊 チョモランマ/サガルマタ交差縦走~.
UPDATE : February. 28 2020

キャンプ4(7550m)

日本のヒマラヤ登山の発展に多大なる貢献をしてき登山家 重廣恒夫氏。
1973年のエベレスト南壁から、1995年のマカルー東稜まで22年間、14回ものヒマラヤ登山隊に参加。
「より高い山を、より厳しいルートから、より難しい方法で登る」という、アルピニズムの哲学を長年にわたり、ヒマラヤで実践しながら幾多の高峰に足跡を残してきた重廣氏の軌跡をご紹介して行きます。

宇宙中継計画                                                                                     
 1986(昭和61)年1月、世界最高峰チョモランマ/サガルマタで、日本・中国・ネパールの合同登山をおこなう話が読売新聞社から舞い込んだ。チベット側からの登頂とネパール側からの登頂、世界最高峰の頂上から宇宙中継をするという企画に心が躍った。登攀隊長に指名されたこともあって、この機会に中国とネパールの国境稜線上のローツェシャール~ローツェ~チョモランマ頂上経由で西稜を縦走するというグランドトラバース、すなわち世界最高所の長大な稜線の縦走を提案したが、最終的にはチベット側から頂上に立ちネパール側に下る、ネパール側から頂上に立った後チベット側に下るというパスポートを持った交差縦走に落ち着いた。87(昭和62)年2月24日の北京での議定書調印を挟んで三国会談は月1回のペースで6回おこなわれた。登山実施時期は88(昭和63)年プレ・モンスーン期の3月から5月、こどもの日の5月5日を登頂予定日として登山計画を策定することが決定された。登攀隊長として私に課せられた使命は、5月5日にチベット側から3国の隊員を頂上に到達させネパール側に無事に下山させることに加えて、3名の撮影隊を頂上に到達させ、8848mからの大パノラマを世界の茶の間に流すためのマスタープランを作り、現場で指揮を執ることにあった。日本側で原案を作り、中国・ネパール側の登山隊長・登攀隊長と協議するため、カトマンズ・香港・北京を飛び回った。日本国内でも登山隊・読売新聞社・日本テレビの担当者による実行委員会などが開催、月3回から5回の上京を余儀なくされ、会社の仕事もあって多忙を極めた。87(昭和62)年10月20月の登山隊員決定、梱包の後12月29日天津新港に向けて隊荷が発送されたときはほっとした。

shigehiro-vol9_05チベット側ベースキャンプ開き

shigehiro-vol9_02宇宙中継用アンテナと報道センター

チョモランマ空撮

 元旦の紙面を飾る読売新聞社の空撮に同行した。北京~成都~ラサと移動した我々は、北京から飛来する中国科学院のリモートセンシング用の小型ジェット機の到着を待った。12月10日、ミグ戦闘機に護衛されたセスナサイテーションは、インド・ネパール国境を西進し、マカル―・ローツェを眼下に見て、チョモランマ上空に達した。科学院機の胴体部分には直径50cmの光学ガラスの窓があり、天候が良かったこともあって73(昭和48)年に到達した南西壁の最高点もはっきり見え、読売新聞社の鰺坂写真部長と額をぶつけあいながらカメラのシャッターを切った。また、国境を挟んで展開するチベット・ネパール側のルートを同定しながら縦走のイメージを膨らませた。その時、私は11月下旬から中国チベット自治区の首都ラサにいた。

隊員集結と登山活動

 88(昭和63)年2月22日、チベット側に向かう登山隊員・新聞・テレビクルー51名が成田空港を出発した。25日 成都に移動。26日 ラサに到着した。29日にトラック・ジープに分乗して370kmを走りシガツェに入った。3月1日、253km走ってシガール着。ここで中国・ネパール隊員への装備支給、高度順化トレーニングをおこなった後、6日にベースキャンプ(5154m)に入った。日本54名(隊員20・読売9・日テレ25)、中国44名、ネパール42名合計140名の大所帯である。それぞれの隊のテント設営、宇宙中継用のパラボラアンテナの設置、報道センターの建設、インマルサットの開通、約50トンの登山装備・食料などの整理であっという間に時間が過ぎた。その後11日 5500mにC1建設、12日 6000mにC2を建設した。17日には6500mに前進基地(C3)を建設した。ここが上部キャンプへの出発点となるので、BCに下るのは縦走体制が整った後となる。前進基地は非常に風が強く2回も大テントが倒壊、隊員の寝ていたテントも飛ばされ、30kgに梱包された荷物もいくつか飛ばされ行方不明となった。

shigehiro-vol9_07ネパール側BCを訪問した橋本龍太郎名誉総隊長(中央)

shigehiro-vol9_06ノースコルのC4

 29日、橋本龍太郎名誉総隊長の到着に合わせてこれまでの経過報告にBCに下った私は4月2日に前進基地に戻り、5日 ノースコルのC4(7028m)に入った。

縦走メンバー発表

 その後3国の隊員の活動によってC5(7790m)、C6(8200m)までのルート工作と荷上げがおこなわれた。4月15日は私もC5に入り、集積物資の確認と上部ルートの偵察をおこない、19日までに全隊員が一旦BCに下り休養に入った。隊員たちはそれぞれに束の間の休養を楽しんだが、私には3国の隊長・登攀隊長・総指揮部(3国の総隊長・副総隊長)との連日の打合せが待ち受けていた。22日、3国で協議して決定した第3ステージ(登頂・縦走)の計画発表をおこない、23日から順次上部キャンプに向けてBCを出発した。登山終了までもうBCに下ることはない。28日C4に戻った私は5月5日に向けて橋本清登山隊長、ネパール側の湯浅道男登山隊長とも連絡を取り合いながらアタック計画を練った。29日、山田昇・サポート山本宗彦の第1次縦走隊、三谷藤一郎・サポート馬場哲也の第2次縦走隊の発表をおこなった。5月3日、山田昇ら3国の縦走者がC7へのルート工作をおこない、第1ステップを突破して8530mに到達し、4日 8610mに最終キャンプ(C7)に入った。この日テレビ隊もC7に9名が入って宇宙中継の準備が整った。

5月5日

 前日、縦走隊・テレビ隊が無事にC7に入ってもノースコル(C4)の私は寝ることができない。BCに滞在する気象専門家との天候確認をおこないながら朝を待った。2時に無線でC7の山田たちを起こす。天候は晴れであるが風が強い。6時に出発の予定にしていたが、しばらくテント内で待機した後8時44分 3国の縦走隊員がC7を出発した。C4から双眼鏡で隊員たちの動きを追う。風は強く稜線に雪煙が上がっているが順調に高度を稼いでいる。縦走隊員は12時過ぎに相次いで頂上に立ったが、遅れているサポート隊、テレビ隊の到着を待つように指示する。1時間ほど経過した時点で、山田昇がネパール側への下山を打診してきた。「寒くて凍え死にそうです」世界中のテレビに縦走隊の姿が映るという栄誉よりも、隊員たちの安全確保が第一であった。3人はネパール側に下降を始めた。それは世界最高峰で初めて交差縦走が実現した瞬間でもあった。2時間後サポート隊が、続いて重い撮影機材と中継機材を背にしたテレビ隊の3名も頂上に立った。しかし待てど暮らせど肝心の映像が届かない。至上命令であった5月5日こどもの日の登頂は予定通り果たせたが、「最高峰からの360°のパノラマを世界の茶の間に」という初の試みが成功しないと片手落ちとなる。30分後「テレビが頂上に立ちました。チョモランマ・サガルマタの頂上、世界の、最高点です」と、弾んだ声が届いた。 ビデオカメラを回す中村進カメラマンにとっては8年前のリベンジとなる念願の頂上であった。中継中にネパール側からの縦走隊員も到着したが、残念ながらそこには日本人隊員の姿はなかった。サポート隊員とテレビ隊員がC5,C6,C7に帰幕したのは深夜になってからであり、無線機を握りしめて隊員たちの安全を確認し、翌日の行動指示を出すころには、一睡も出来なかった3日目の朝を迎えようとしていた。予定していた第2次縦走は「すべての目的を達成したので3国の登山活動を中止する」という北京の総指揮部からの登山終結宣言が出され実現しなかった。13日登山隊全員がBCに下り、3月6日から69日間に及んだ登山活動が終わった。
shigehiro-vol9_04ノースコルを出発する登山隊とテレビ隊

shigehiro-vol9_03チョモランマ頂上の山田昇隊員(右)とネパール隊員

登山を終えて

 思想や文化の違う3国の隊員が心から信じあい、助け合って、予定した日にチョモランマ/サガルマタ交差縦走成功という金字塔を打ち立てることができたのは喜ばしいことであった。登山が終わってネパール、中国、日本においてそれぞれの祝賀会がおこなわれた。私は25日にラサからヒマラヤ越をしてカトマンズ入りをした後、橋本龍太郎名誉総隊長と共にバンコック経由で北京に向かった。

 27日、カトマンズではシェラトンホテルでビレンドラ国王・王妃臨席のもとに祝賀会が盛大におこなわれ、6月3日には北京の人民大会堂で、王震国家副主席、李鵬総理のもとに大晩餐会がおこなわれた。6月17日には東京で中国、ネパールの主要メンバーを招待し、竹下登総理大臣から祝辞をいただき、総顧問の桜内義雄議員をはじめ、橋本龍太郎名誉総隊長、顧問の柳川覚次議員、読売新聞社の務臺名誉会長、小林与興三次総顧問、高木盛久NTV社長ほか、関係者、日本山岳会会員など400名余りが参加し、ホテルニューオータニで盛大な祝賀会が開催された。8月20日、事務局を閉鎖して2年8ヶ月に及ぶ三国友好登山が幕を閉じた。

shigehiro-vol9_08ネパール側から頂上に立った中国・ネパール隊員

重廣 恒夫 / Tsuneo Shigehiro
登山家