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登山家・重廣恒夫のヒマラヤアーカイブズ Vol.4 ~2度登った頂~.
UPDATE : October. 19 2018

キャンプ4(7550m)

日本のヒマラヤ登山の発展に多大なる貢献をしてき登山家 重廣恒夫氏。
1973年のエベレスト南壁から、1995年のマカルー東稜まで22年間、14回ものヒマラヤ登山隊に参加。
「より高い山を、より厳しいルートから、より難しい方法で登る」という、アルピニズムの哲学を長年にわたり、ヒマラヤで実践しながら幾多の高峰に足跡を残してきた重廣氏の軌跡をご紹介して行きます。

shigehiro-vol4_01▲ラトック山群(左からⅡ峰7108m・Ⅰ峰7145m・Ⅲ峰6949m)

ラトックⅠ峰(7145m)

 1950(昭和25)年、人類最初の8000m峰アンナプルナⅠ峰(8091m)がフランス隊によって初登頂された。53(昭和28)年には世界最高峰エベレスト(8848m)とナンガ・パルバット(8126m)が相次いで登られ、54(昭和29)年、日本隊もマナスル(8162m)に登った。以後64年までに8000m峰14座が登り尽くされた。各国の登山隊がこぞって初登頂を目指した時代を「ヒマラヤ黄金時代」もしくは「ヒマラヤ・オリンピック」と称した。70(昭和45)年、イギリス隊によってアンナプルナ南壁が登られた。初登頂時代の登頂ルートは傾斜の緩やかな稜線を伝うことが多かったが、それまで手が付けられていなかった急峻な岩壁や氷壁など「バリエーション・ルート」からの登頂が主流となった。「ヒマラヤ鉄の時代」の到来である。そんな中で注目され始めたのが未踏の大岩壁を持つ峰々だった。

 ラトックⅠ峰は、71(昭和46)年に立教大学カラコルム学術調査隊によって周辺踏査がおこなわれ、75(昭和50)年には、日本山岳会東海支部が学術遠征隊を派遣し登頂を試みたが、安全な登頂ルートを探し出すことはできなかった。78(昭和53)年には北面からアメリカ隊が挑んだが敗退を余儀なくされた。

 79(昭和54)年、高田直樹さんを隊長とする「ビアオフォ・カラコルム登攀隊」が組織され、登攀リーダーとなった。登攀リーダーとしての仕事は、東海支部のもたらした「1枚の写真」から登頂可能なルートを探し出し、キャンプ地を見つけ、登頂に必要な物資を算出することと、現地での指揮であった。2年前のK2登山と同じキャラバンルートを歩き、途中でビアフォー氷河に入った。6月10日、バインター・ルクパール氷河の奥にBC(4600m)を設けた。頂上までの標高差約1500m、目の前に1000mの大壁が屹立していた。Ⅰ・Ⅲ峰間クーロワールの上には危険な懸垂氷河がぶら下がっている。登頂ルートは南壁の一番出っ張った部分と決めていた。

shigehiro-vol4_02▲左/南壁基部に向けてクーロワールを登る▲右/Ⅰ・Ⅲ峰間ルンゼ上部の懸垂氷河

 20日、岩壁の下に設けたC1(5500m)が懸垂氷河の崩落による雪崩に襲われ消失した。30日には5800m地点にC2が建設されたが、テントの半分は空中に浮かんでいた。垂直の岩壁のルート開拓を続け7月4日、6300mのC3予定地に到達したが、テントを張るスペースが無いのでハンモックにぶら下がって夜を過ごした。さらにルート開拓と荷揚げを続け15日、岩壁を抜けて6500m地点のアイスキャップ上にC3を建設した。1日休養し、17日に頂上に向かったが天候悪化で引返した。降雪で1日待機した19日、3名が再度アタックしたがルートは難しく夜となり、キャラバン開始時からずっと撮影を続けてきた16mmムービーでは、暗闇の中で垂直の岩壁を滑るアイゼンの火花と松見隊員の喘ぎ声が聞こえそうな絶好の登頂シーンを撮影することは出来なかった。

shigehiro-vol4_03▲左/C1に襲いかかる大雪崩右/南壁のミックス(岩・氷)帯を登る

shigehiro-vol4_04▲垂直の岩壁を登る

shigehiro-vol4_05▲C3より氷壁を登り頂上に向かう

shigehiro-vol4_06▲1979年7月22日第2次アタック隊4名が頂上に立った

 22日、第2次登頂隊3名と共に再び7145mの頂上に立ったが、悪天候で35mmカメラでの登頂撮影にとどまった。3000mの固定ロープと40日間に及んだ登攀が終わった。
 ムービーカメラで撮影された300分のフィルムは20分に編集され、「初登頂 ラトックⅠ峰」が関西テレビ系で全国放映された。

 初登頂から39年経った今でもラトックⅠ峰南壁からの再登はされていない。78(昭和53)年、ジム・ドニーニらのアメリカ隊が頂上に肉薄した北稜からの課題に、これまで30を越える登山隊が挑んでいたが、今年(2018年)8月、スロベニアの登山隊が北西壁から第2登に成功した。チョクトイ氷河側(北面)からの40年ぶりの快挙である。しかし頂上にダイレクトに到達する「北稜直登」が最後の課題として残っている。

重廣 恒夫 / Tsuneo Shigehiro
登山家